畳の良さを伝えながら、新たな挑戦にいどむ畳職人。家元秀幸さん。

畳は日本固有の敷物で、遠い昔から日本人にはとても馴染みのあるものでした。
畳を見かけることすら珍しくなった今、若い職人による新たな挑戦が始まりました。

畳の歴史は古く、現在の畳に似た構造になったのは平安時代の頃。

今は畳は和室にある床材として使われていますが、大昔は階級を表すものとして、畳の厚さ・ヘリの柄・色などが異なっていました。
「畳のヘリを踏んではいけない!」と聞いたことがありませんか?それはヘリを踏むことによって、権威の象徴を踏みにじるという理由にもあるからだそうです。

今回の「LOCALシゴト人」は、畳の歴史を伝えるとともに、職人の想いや畳の新たな使い方など、今の時代に合った畳作りに挑戦する家元秀幸さんに話を伺ってきました。

そもそも畳職人とは?

畳職人は一般的には「い草」や「藁(わら)」を用いて畳を製造、修理をする専門職人です。

畳は、主に畳表(たたみおもて)、畳床(たたみどこ)、畳縁(たたみべり)の3つの材料を組み合わせて畳が製作されます。畳職人がまず行うのが、畳を敷きつめる部屋の採寸(サイズを測ること)。どんなに正確に家を建てても、部屋は多少ゆがむもの。古い家であればあるほど、ゆがみが大きくなります。同じ8畳でも建物によって異なるため、部屋の寸法に基づき、畳の大きさを決めます。その結果、部屋にぴったり合う畳が完成するのです。

また、数年を経て傷んだ畳を、表替え(畳表だけを新しく張り替え)、裏替え(畳表を裏がえして張り直す)で修復するなど、長く使えるようにするのも仕事です。

以前、畳を剥がす機会があった時に、裏に何やら文字が。その時は意味がわからず、剥がした畳を元に戻そうとすると、あれ入らない? そう、畳は部屋の大きさに正確に作られているため、置く場所によって畳自体の大きさもそれぞれ違うのです。畳の裏に書いてあった文字は、部屋における畳の位置を記したものだったのです。左と右を入れ替えても入らなかったり、隙間ができたり、正しい場所に敷くことで隙間のない和室が出来上がるのです。

これぞまさに職人技!! ホームセンターで売られていないのにも理由があったんですね。

 

畳職人兼高校講師

家元秀幸さんは、新見市大佐出身。32歳の若き職人。

新見高校を卒業後、茨城県畳高等職業訓練校へ3年通ったのち、大佐へ戻り家元畳店で職人となる。

また、当時の高校の先生に誘われ生物生産科の講師として、学生と一緒に花ポットの栽培〜販売などを教えていました。講師を始めた4年間は月曜〜金曜までの出勤をしていたため、畳の仕事は帰宅から深夜までおよぶ忙しい生活でした。
現在は、非常勤講師として週4日の時間単位で、キノコの原木栽培などを教えているそうです。

nami

講師として仕事もされているのですが、なぜ畳職人という道を選ばれたのでしょうか?

もともとは、祖父が茅葺き職人をしていました。父親の代で畳職人としてシフトチェンジをし、高校生の頃に畳を作る=物づくりに興味が湧いたのがきっかけです。どうせするなら日本一を目指そうと日々修行していて、一級技能士を取得しました。

平成28年に事業継承をし、家元畳店の代表として畳の良さを伝えています。

家元さん

今回、実際に畳一枚を表替えしてもらう工程を見せていただきました。畳一枚をものの20分で完成させる早業です!

華麗なる職人技は、YouTubeチャンネル「YUNO SHOW」にて公開しております!

自然を満喫、趣味にも畳を愛用

nami

家元さんといえば、趣味=キャンプのイメージが強いのですが、ほかにどんな趣味をお持ちなのですか?

そうですね。キャンプは時間さえあれば、その辺でしています。僕のキャンプはまさにサバイバル並です。あとは、ツーリング、カヌー、登山です。

中でも、カヌーはインストラクターの資格を取得したので、ゆくゆくは大佐の恵まれた自然の中で、スクールをしたいなと思っています。

たくさん趣味を持っている中でも、畳はとても欠かせないアイテムとなっています。キャンプの時はテントの中に敷いています。また、花見などでも畳を敷物として使ったり、企業の休憩スペースとしてレンタルしたりもしています。

家元さん

女性でも軽々と運べる折りたたみ式の畳。レジャーシートとしても多用途に使える

家元畳店さんは、お客さんにオーダに合わせた畳を作ってくれます。例えば、畳の素材だったり、ヘリの柄だったり。写真の畳は防水加工されており、小さなお子様にも安心してレジャーを楽しめる一品。
個人的にはすごく欲しい、、、家族に相談です(笑)

 

畳にかける想い

nami

昔に比べ、畳の需要が減ってきているかと思いますが、
確かにフローリングが主流となって、畳の元となるい草の栽培・畳職人が激減しています。実は、昭和40年頃までは岡山県が全国1位のい草の生産地でした。今では熊本県八代市のい草がほぼシェアしています。

現代では、色が楽しめる和紙でできた畳や外国産のい草を使った畳もありますが、やはり国産のい草を使った畳は頑丈だし、い草がもつ香りや機能が全く違います。

今では畳を知らない子もいます。ただただ良さを知ってもらうだけでなく、イベントなどでワークショップをしたり、同時に休憩スペースとして畳を提供したり、畳を楽しんで知ってもらう活動をしています。畳を使って新見市や地域の活性化に繋がるよう、畳と趣味を駆使して活動できたらいいなと思っています。

畳も時代に合ったカタチも必要で、同じ事をしていてはいけないなと感じています。まず畳を知ってもらい、体感してもらい、感動を与え、畳を使ってもらえるのが今の活動。

今考えているのは、畳でゲストハウスをしてみたいですね。

家元さん

ワークショップで作れる畳のブックカバー

 

ライターから一言

本当に一言で言うと、畳はとても奥が深い!

畳の歴史をとっても、素材や畳が出来上がるまでをとっても、聞けば聞くほど畳の良さを感じられるました。私の勝手な職人のイメージは、寡黙一徹でしたが、今の時代それだけではダメなんだと思いました。現代では、インターネットでなんでも情報が得られるので、そこへ職人の想いをのせた言葉で伝えていくことにより、感動が生まれるのだなと感じました。

ほかにも畳にまつわるお話がたくさんあるのですが、書ききれないのでぜひ畳の魅力を家元畳店さんまで足を運んでみてください。

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