和牛のルーツ!神郷釜村に生きる竹の谷蔓牛!

竹の谷蔓牛

みなさま、蔓牛(つるうし)と言う言葉をご存知ですか?

蔓牛とは?

蔓牛とは中国地方で改良された優良な系統の和牛の呼称で、資質・発育・繁殖などで優れた特性を持ち、かつ、その特性が強く遺伝する牛群のことです。

は、江戸時代の末期1800年代に中国地方(岡山県、島根県、広島県、兵庫県)で豪農や家畜商、鉄山師などの手により作られはじめました。

良い牛を選抜する→良い牛同士を近親交配するという繰り返しでは作り出されました。

蔓を作るということは、優れた因子が濃く出るDNAを作り上げるということだと思いますが、遺伝学も育種学も無い江戸時代に蔓を作るということはそれはそれは忍耐と経験が必要だったのではないでしょうか。

竹の谷蔓牛牛舎内牛舎で佇む竹の谷蔓牛(新見市神郷釜村)

蔓がブランドになるまで 〜江戸時代〜

さて、現代では新見特産品の千屋牛を含むたくさんの和牛ブランドが全国各地にあります。

和牛と言えば、焼肉、すき焼き、ステーキ、ハンバーグなどなど、美味しそうな料理の絵ばかりが思い浮かびますが、蔓が作られた江戸時代末期の日本ではまだ牛肉を食べる文化がありませんでした。牛と言えば農耕や運搬などの役畜で、優れた牛とは、“体格が良くて丈夫”、“大人しく利口”、“繁殖能力が高い”といった役畜として優れた牛でした。

当時の人はその牛を食べることはありませんでしたが、その肉のお味はどんなものだったのでしょう。
程よく引き締まった肉には脂身がなく、噛めば噛むほど味が出る、これぞ和牛!!な味だったんでしょうか???妄想は膨らみますね(笑

そんな蔓が現代の和牛ブランドになるまでを語るうえで欠かすことのできないのが竹の谷蔓牛です。

竹の谷蔓牛は、1830年ごろに新郷村竹の谷(今の新見市神郷釜村)で浪花千代平が生産した優良牝牛が基になって造られたです。この蔓牛が基になってさらなる分蔓を生み出していき、その分蔓千屋牛を含む現在のブランド牛の基となりました。

竹の谷蔓牛和牛のルーツであると云われる所以ですね。

牛舎内の竹の谷蔓牛竹の谷蔓牛 牛舎の様子(新見市神郷釜村)

受け継がれた蔓の危機!雑種ブーム到来 〜明治維新後〜

明治維新後、ここでやっと私たち日本人は牛肉や乳製品の味を知ることになります。

牛肉を食べることが文明開化の象徴と言われ、牛肉のすき焼きが大流行するくらいです。牛乳や牛肉の需要が高まり、和牛より体が大きくよりたくさんの乳や肉が取れる外国種が多く輸入されるようになりました。一時は政府が率先して雑種を推奨する時期もあったようで、日本全国で和牛と外来牛の交配が進みます。

その結果、体が大き過ぎて動きの鈍い役畜には向かない雑種牛が氾濫します。この時代はまだトラクターやトラックが無い時代ですので役畜として使えないというのも困ります、、、その後は従来の和牛をベースに、雑種牛の美点を取り入れて改良をして行こうという流れになりますが、、、ここに至るまでに純血の和牛が限りなく少なくなってしまったことは否めません。

そして、ここで再び竹の谷蔓牛が登場します。

竹の谷蔓牛は生産地である神郷釜村が立地的に他所の外来牛と交わりにくい環境にあったこと、また、蔓という優れた牛への頑固たる価値観がありましたので、外来牛との交配を免れることができました。蔓を守り抜いたのです。

竹の谷蔓牛横顔竹の谷蔓牛(新見市神郷釜村)

竹の谷蔓牛は今でも神郷にいます! 〜昭和・平成〜

さて、前置きが大変長くなりました(汗

江戸時代から続く竹の谷蔓牛は、なんと現在でも新見市神郷釜村、竹の谷に生きています!!

前述の通り、竹の谷蔓牛は噛めば噛むほど味が出る脂身が少ない日本古来の牛ですので、霜降りが重宝される現代では、生産農家さんが減り、今では十数頭しか生存していないそうです。

そのため、年間1〜2頭しか流通ルートに出回らないため、この新見の竹の谷蔓牛も、取引のある宮崎県の直売所か、特約店である岐阜県の精肉店でしか手に入らない幻の牛肉となってしまいました。

新見市で育てられているにも関わらず、遠い県でしか取り扱っていないというのは非常に残念、、、

そんな竹の谷蔓牛のお肉を食べることは叶いませんでしたが、とても貴重な竹の谷蔓牛と牛飼いの方に会うことができました!

竹の谷蔓牛牛飼いの平田さん牛飼いの平田さん(新見市神郷釜村)

竹の谷(現在の新見市神郷釜村)で竹の谷蔓牛を、人生をかけて一人で生産されている平田五美さん(75歳)です。

この地域はとても雪深い土地でもあるので、冬は牛の世話など大変かと思います。蔓牛は霜降りではないため県からの助成もなく、平田さんはたった一人でこの牛を育て守り続けてきました。

ここ数年、他県の生産者さんが受け継ぐ形でこの蔓牛を育てて、守っていこうという動きもあり、蔓が途絶えることは何とか免れそうです。ですが、古くから新見で育てられている歴史がありながらも、後継者がいないためこの地で育てていくことが難しいのはなんだか寂しい気もします、、、

最近の牛肉の傾向として、熟成肉などの赤身のお肉への関心も高まっていると聞きます。長い和牛の歴史のなかでもいろんなブームがありましたが、昨今の赤身肉ブームは竹の谷蔓牛にとっては正に追い風!和牛竹の谷蔓牛を守ってきた甲斐がありました。これを機に赤身肉で美味しいと賞賛される竹の谷蔓牛の生産を担う後継者が新見に現れることを心から願います。

竹の谷蔓牛子牛江戸時代から続く蔓を引き継ぐ竹の谷蔓牛の赤ちゃん(新見市神郷釜村)

なお、今回の記事を書くにあたり、蔓牛や和牛の歴史について、以下のサイトを参考に勉強させて頂きました。

岡山県畜産協会発行
復刻版岡山畜産便り第9号(昭和25年8月)

3 COMMENTS

林 ゆい

確認&訂正をお願いします!
「竹の谷蔓牛は、1830年ごろに新郷村竹の谷」の年代ですが1730年ではないでしょうか。

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